許すということ

今日は海の日、妹の誕生日でもあります。

何度か書いたこともあるかと思いますが、私は妹と絶縁状態です。

 

そんな妹にも今では感謝できるようになりました。

価値観の違いを受け入れることができるか、それが許す許せないということにつながります。

今日はそんなお話です。

 

自分を大切にするための武器を持っていた妹

妹は、今思えば、自分を大切にしまくっている子供でした。

0歳の時から。

父や祖父は、コントロール願望が強く、自分の思い通りにいかないとキレるタイプでした。

母や私が自分の意見に賛成しないと、すぐに怒り出して大変でした。

 

言うことを聞かないと怒るというのは、分かりますが、
父は、自分の意見を聞いてなかったり、賛成しなくても怒り出すのでした。

自分は人の話を1分も聞けないのにね。

 

それと、何というのか、
犬相手にもやっていたのが分かりやすかったのですが、
おもちゃを目の前でチラつかせて与えず、必死におもちゃを取ろうとさせるんですね。

そして、泣き出したり、怒り出したら、与えて喜ばせるということをするんです。

こんな説明で分かるでしょうか(;´∀`)

 

犬の場合は、おもちゃがもらえたことを喜びます。
でも、また取られないように、いったん咥えると離さなくなります。

これを犬にしてしまうと、犬は人間を信用しなくなるので、「もってこい」などの訓練が難しくなります。

 

これを赤ちゃんの時から、私にもやっていたのでしょうね。

子供心に、どうにか希望のものをもらえるように必死になっていました。
そして、ようやく与えてもらったことに感謝するように躾けられたんですね。

 

今思えば、そういう経験を子どもの時にしているので、
「自分の欲しいものを手に入れることは難しいこと」と感じてしまっていたのだと思います。

それを「自分の欲しいものを簡単に手に入れても良い」と意識を書き換えるのにかなり時間がかかりました。

難しいと思ってたら、手に入るものも手に入らないよな〜〜と今では思います(*^_^*)

 

一方で、妹ですが、おそらく最初にそのおもちゃをチラつかされた時に、すごい不快感だったのでしょう。

妹が、大泣きしたので、父がおもちゃを与えようとしてもすでに時遅し、絶対に受け取らないのでした。

その後は、父が近寄るだけでも爆泣きするようになったんですね。

 

ともかく、妹は気に入らないことがあったら、赤ちゃんの時から爆泣きする子でした。

なので、妹がまだ0歳のときから、父も母も、妹の機嫌を気にしながら生活するというスタイルができてしまいました。

 

父は私には、「子供は親のものやから、何をしてもいいんや!」と怒鳴りましたし、私もそれに反抗するので、よく戦いました。

しかし、妹には何か言おうものなら、本当にすぐに爆泣きするので、
妹が物心が付くころには、すっかり父は一切何も言えなくなりました。

母に妹に言うように父は言うのですが(自分で言えよ〜と思っていました)
母も妹が爆泣きすることが面倒で、何も言えず、私に愚痴るように(;´∀`)

 

「出かける時は、誰とどこに行くのか、何時ぐらいに帰ってくるのか、言いなさい!」という普通は親が子供に言うことも、私が言わなければ、いつどこに行っているのかわからない妹でした。

 

そうして、妹は親から何の干渉されることもなく、高校も自由に選び好きな大学に行き、海外留学を決めてきたのも事後報告でした。

私は高校も大学も行きたかったところには行かせてもらえず、
海外留学に至っては、何年も戦ったあげく諦めたというのに(;´Д`)

 

ともかく妹は、親に対して、勝手し放題、
大人になっても1円も家には入れず、洗濯物も出しておけば廊下にできてくる、冷蔵庫をあければ食べ物があり、毎日駅まで車で送り迎えをさせて、すぐに来れなかったり、遅かったら激おこぷんぷん丸という傍若無人ぶりだったんですね。

 

それに腹をたてていた私は、いい加減に親の言うことを聞け!と、親に感謝しろ!と、大人になってから大げんかをし、それ以来今もろくに口をきいていないのでした。

 

妹の言い分としては、
「おねえちゃんも勝手にしてるやん」ということで、私が親と戦っているところとか全然見てなかったんですね〜

常に自室に閉じこもっていましたから(;´∀`)

 

まぁ、そういう爆泣きという武器を持っていた彼女は、そうして常に自分の自由に生きてきていたんですね。

 

結果的に、彼女もフリーで仕事をすることを選んだので、今も本当に自由気ままな生活をしています。

もうアラフィフですが、時々友達とサーフィンに行ったりするようです。
もちろん、親は誰と行っているのか知りません(;´∀`)

 

ただ、蟹座な彼女なので、結婚もせず実家にずっと居てくれているんですね。

今となっては、両親も歳をとって、色々と体に支障も出てきたので、妹が同居してくれているということは、ものすごい安心できます。

 

最近は、家事も色々とやってくれているようです。
まぁ、母が入院とかしたからでもあるでしょうけども。

さすがに、同居していたら親の面倒をみる側になってくれているんだなぁと、今は感謝しかありません。

 

私に対しては、今でも顔を合わせると激おこぷんぷん丸になるので、母は妹が居ない時でないと私を実家にあげてくれません(;^ω^)

何年か前だったか、父が私に「◯◯子(妹)がワシに話しかけてくれるんや」と嬉しそうに言ってました。

どういうことやねん!と(;^ω^)

まぁ、そんな父も歳をとったということです。

 

他人を許すということ

ともかく、そんな妹が、私はずっと許せませんでした。

それよりもっともっと、父のことが許せなかったんですね。

 

でも、心の勉強をして、スピリチュアルに触れてから、私自身が変わることで、父や妹への思いが変わったんです。

 

相手を変えようとしても、相手は変わりません。

自分が自分の価値観で生きているように、
ムカつく相手も、その人の価値観で自分が「正しい」と思って生きています。

 

それが、自分と相手の何が「正しいか」という価値観が違うというときに、争い、戦いになります。

どちらも自分こそが「正しい」と思っています。

どちらも、相手が間違っていると認めるまで、戦いは続きます。

 

でも本当に、人によってどんな価値観を持とうが、自由なんですよ。

世界を見渡せは、それはそれは多様な価値観が存在するんですからね。

 

自分の価値観こそが「正しい」と譲らない人は、
相手の価値観を聞いてみる、ということすらしません。

でもちゃんと、相手の価値観を知って、何を根拠に自分こそが正しいと思っているのか、
人は本来は理解できるものなのです。

 

それぞれが、自分の都合があって、自分のためにしたいことがあるから、譲れないものもあります。

それは、「どちらも正しい」ということなんです。

私も正しいのだけども、あなたも正しいね、ということなんですね。

 

相手の価値観を受け入れる、それが相手を許すということでもあるんです。

 

相手を変える必要はないんです。

相手も相手の価値観をもっていていいんです。

 

自分もそういう意味では変わる必要はありません。

ただちょっと、相手の価値観も正しいんだな、と両方を受け入れられるようにだけ変わることです。

 

白が黒になるということではありません。

グレーにしようという妥協点もありかもしれませんが、

白と黒と、両方別に混ざっててもいいよね、ということを受け入れられるように、
そこは「自分が」変われるか、ということです。

 

それができるようになると、いつでも他人を許すことができるようになるんですね。

怒りで震えるということもなくなります。

人に腹が立たなくなるということは、一気にストレスもなくなります。

 

私は父に対して、ずっと怒っていました。

一人暮らしをして、結婚して、一緒に暮らしていないにもかかわらず、昔のことを思い出しては不愉快な気持ちになって、時には泣いていました。

 

もう、そんな必要はないんです。

父も自分の正しいを貫いてきた、ただそれだけなんですね。

 

父のことも、妹のことも、すっかり今では許すことができています。
むしろ、本当に心から感謝の気持ちがわいてきます。

 

相手の価値観を認める、相手を許すことで、楽になるのは自分なんですね。

他人を許せるようになると、人間関係で悩むこともなくなります。

 

もちろん、今でも自分の価値観と違うことを目の前でされたら、一瞬イラっとしたりもします。

でも、へ〜〜そうなんだ、と思えたら許せるんですね。

そんなのもありなんだ!と楽しめたりもするんですね(≧∇≦)

 

価値観の違いとは、戦うものではなくて、本来は楽しむものですから。

自分のことも許せない人も多いですが、それはまた今度のネタに(≧∇≦)

 

今日は、私に許すということを教えてくれた父と妹にありがとう(*^_^*)

#今日のありがとう vol.555

 

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