頑張るのをやめるという本当の意味は?

心の勉強とかを始めるとね、
「頑張るのをやめる」といわれます。

これをどう理解するかで、その後良くなったり悪くなったりしますよね。

今日は「頑張るのをやめてみよう!」の意図について私の思いを書いてみます(*^_^*)

 

頑張る教とは

子供の時から日本の教育では
「がんばりましょう」だったり
「一番頑張ったのは誰か?」だったり
「みんな頑張ってるんだから、あなたも頑張りなさい」だったり

頑張ることがいかにも大切で、偉い、尊いことだと教わってきましたよね。

 

なので、頑張らないこと、頑張れないことは、悪いことだと思い込んでしまっています。

頑張らない、イコール、怠け者、

頑張れない、イコール、能力が低い、

そんな感じに思ってしまってるんじゃないでしょうか。

 

頑張ることがすごいこと、偉いこと、素晴らしいことだと自分にも他人にも求める生き方が「頑張る教」です。

そういった価値観に囚われると、頑張らない、頑張れない時に、自分も相手も責めてしまいます。

 

「頑張る」という基準は、人の価値観の数だけ違います。

昨日も書きましたが、1キロ走ることが、すごい頑張りだと感じる人もいれば、
1キロなんて頑張ってることに入らないと思う人もいます。

何をもって「頑張っている」のか、「頑張っていない」のか、
そもそもの判断基準が、人の数だけあるってことです。

 

なので、「みんな」というくくりは、すごく危険なんですね。

常に平均まで頑張ることを求められても、
出来ない人もいるからの平均であって、

そこで、出来ない人は出来るように頑張っても、
頑張ることで「平均値」が、かさ上げされてしまうので、どこまでたっても、頑張りを求められることになります(^◇^;)

怖いでしょう〜
真ん中より後ろは、常に戦々恐々としてしまいますよね。

そして、平均より上にあったとしても、常に下位に落ちないように、頑張り続けないといけないということになります。

 

頑張る教は、そうやってトップ以外の人に、常に頑張ることを強要する宗教みたいなもんなのです。

そうすると、頑張らない、頑張れない人が罪悪感を持って、自分や相手を責めるということを続けてしまいます。

 

「頑張るのをやめよう」と言うのは、
そういった自分を責める生き方を常に強いられてきた人に対して、
昨今の心理カウンセラーだったり、成功者思考などから言われる言葉なんですね。

では、その言葉の本質とは何でしょうか。

 

頑張ることをやめるという意味は

頑張ることをやめる、とは、どういう風にも受け取れます。

「1位を目指さなくてもいい」
「平均を取れなくてもいい」

これらは、自分の出来る基準を認めて、楽になろうという考え方ですよね。

一歩間違えば、自己否定になります。
自分はダメなんだと自分で、自分の価値を下げてしまいます。

 

「得意な人に任せよう」だったり、
「人には向き不向きがある」だったり、

出来ないことに対してのフォローが必要になります。

事実、全て完璧に出来るスーパーマンなんて居ないのですから。

 

自分の出来る範囲をちゃんと褒めてあげる、認めてあげることが必要なんですね。

その時には「よく頑張ったね」という褒め言葉が、一番適しているのかもしれません。

 

また、頑張る教は、得てして「我慢大会」にもなります。

どこまで我慢できるかを競うのですが、
それが自分の中での自分との戦いになってしまうこともあります。

 

嫌なことや、したくないことを続けている場合などがそうです。

お金のためにだったり、生活のために、誰かのためにと、だいたいは自分のための頑張りではなくて、他人や環境、状況に対して我慢することを頑張っています。

我慢できるかどうかが、頑張りの指標になってしまっている時も、
その頑張りの方向は合っていますか?という事です。

我慢する事で、現状維持や、悪くなることを防ごうとしているだけであれば、
その頑張りをやめてみようということです。

 

我慢するのではなくて、
目的や目標に向かって「努力」する頑張りは、やめる必要がないものです。

その時に、自分の求める目的、目標なのか、
会社や学校、環境などの他人から求められる目的、目標なのかによっても、大きく変わります。

売上目標であっても、頑張ることで自分も嬉しい楽しいメリットがある場合は、がぜん頑張れますよね。

 

でも、国語や算数のテストで1位や、100点を目指すというのはどうでしょうか。

それよりも、好きな本を読むことや、利益を生むための計算を学ぶ方が、人生の豊かさは増える気がしませんか?

日本のステレオタイプを目指させる教育が、
いかに無駄な頑張りを強要して、罪悪感を植え付けてきたか、それに対して、
「頑張るのをやめてみよう」だと思うのです。

 

頑張ってもいい

何でもかんでも「頑張るのをやめる」というわけではないということも、分かるでしょうか?

言葉の額面通りに捉えて好きなこともやめてしまう人も、中にはいます。

講座やセミナーで、頑張ることをやめたら入ってくると教わりました、と言う人もいます。

 

それは、物や考え方において、固執してきたこと、囚われていたことを捨てた時に、
その空いた空間に、新しい何か別のものがやってくるよ、という宇宙の原理原則「真空の法則」が働きます。

 

スタンプラリーで、10個溜まったら欲しいものがもらえるのに、5個まで集めて頑張るのをやめてしまっても、何も代わりのものはもらえませんよね。

欲しいもの、叶えたい願いがあるのに、途中で頑張るのをやめるということは、
自分には無理だと諦めるということです。

 

その頑張りが、必要なものか不要なものかの判断基準は自分の中にしかないものです。

その先にもっと叶えたい目的や目標があるのか、
その計画は自分が立てたものなのか、
そういったことでも、頑張ることをやめる必要がないこともありますよね。

 

頑張るのをやめるということが、
その頑張りの先の手に入れたい未来を諦めるという意味になるとき、
頑張っていいんですよ。

 

自分のための人生ですから、
何を頑張って、
何を頑張らないか、
それは、自分で決めていいという事です。

 

楽しい未来のための頑張りはやめないで!

頑張りも、やめていいものと、やめなくていいものがあります。

ステレオタイプ、標準、平均を目指して頑張るのはやめよう、

自分の望む未来ではないことに頑張るのはやめよう、

我慢することを頑張るのはやめよう、

そういった頑張りは、一度にやめられなくても、少しずつ、やめる方向に考えてみてください。

 

基準は、その頑張りは楽しいですか?ということです。

そして、自分の望む未来を手に入れようとする頑張りは、やめないでくださいね。

 

今日は、私とあなたの頑張りにありがとぉ(*^_^*)

#今日のありがとう vol.558

 

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