博打か、チャレンジか、

あなたは、チャレンジをする方ですか?
それとも、しない方ですか?

私は、結構チャレンジする方なんですね。

なぜか「怖い」という感覚があまりありません。

でも、今日はそんな怖い思いをするようなチャレンジはしなくていい!というお話〜\(Φ∀Φ)/

コンフォートゾーンがあるということ

誰でも、初めてのことは勇気がいります。

期待と不安が混ざりますよね。

でも、そこで期待が勝ってチャレンジする人と、
不安が勝って、チャレンジしない人に分かれます。

 

些細な日常のことから、
大きな人生の転機までそれぞれですが、

人が亡くなる時に後悔することのひとつとして、
もっと色んなことにチャレンジすればよかった、
という人が多いということは、

本当は、誰もが色んなことにチャレンジしたいと思っているということですね。

 

日常の、いつものところで、いつものことをしている時、
それは安心安全の中にいて、
常に自分の「コンフォートゾーン(快適な空間)」と言われるところから出ることはありません。

 

コンフォートゾーンにいる限り、不安や怖れがないので、
それこそ自分の好きなことに熱中することができます。

内面に向かうということですね。

自分の興味があること、したいことに集中するには、
それ以外の環境が、安全に守られていなければ、集中したくても集中出来ません。

 

トイレが個室なのはそういうことです(違w

誰も、わざわざスリルを求めて用をたすことはしませんよね(≧∇≦)

 

コンフォートゾーンをしっかり作って守るということは、
そういう自分らしさを追求するためにも必要なことです。

一方で、コンフォートゾーンをどんどん広げていくことで、
新しい出会いがあり、新しい世界にふれることで、
また今までとは違う楽しさに出会えることもあります。

 

心の勉強をしたり、成功哲学を学んだりすると、
どんどんコンフォートゾーンを広げていって、次のステージに行こう!という表現に出会います。

人は、常に成長したい生き物ですし、
スピリチュアル的に見たときには、この肉体にゲームを楽しむために魂が宿っているのですから、
いつまでも同じコンフォートゾーンの中にとどまることは、ある意味難しいことでもあります。

否が応でも、何かが起ってコンフォートゾーンを出てチャレンジさせようと、
魂はするんですね。

 

チャレンジが怖いのは

コンフォートゾーンから出る、
何か新しいことにチャレンジする、

それって、誰でも恐怖が伴います。

 

でも、その恐怖の元は何だと思いますか?

 

それは、今のコンフォートゾーンを失ってしまうという怖さなんですね。

今の安心安全な環境が壊れてしまうんじゃないか、
無くなってしまうんじゃないか、

そういう恐怖です。

 

100か、0か、

そんな風にすべてが無くなることを恐れているんですね。

 

でも、コンフォートゾーンを広げていくというのは、
今のコンフォートゾーンを捨て去ることとは違います。

 

今のコンフォートゾーンもあり、
少し広がって何かが足される、という感じです。

そうだとしたら、全然怖さとか無くなりませんか?

 

また、今いるコンフォートゾーンが、
快適で安全なところだと確信が持てているからこそ、
外に広げていこうという気持ちにもなれるんですね。

 

そうして、少しずつコンフォートゾーンを広げていくということは、
それほどの恐怖を伴いません。

 

なので、ともかくは今の自分自身をしっかり認識して、
準備して、自覚を持って先へ進む時、それは不安より期待が勝つでしょう。

 

何かにチャレンジしようと思った時に、
それを段階に分けて、少しづつ近づいていく努力をしてみる、

一気にやろうとするのではなくて、
準備をして、出来ることから手を付けていく、

そうすることで「チャレンジ」もチャレンジではなくなって、
自分の道になっていくこともありますから(*^_^*)

 

今いるコンフォートゾーンを
意識的に広げていく、何かを足していく、という感覚ですね。

それが分かれば、チャレンジも怖くなくなります。

 

博打か、チャレンジか

まったく全てを捨てて、新しい世界に飛び込むという時、

それは、今いるコンフォートゾーンが快適ではない、もしくは居られないなど、
変わらざるを得ない場合が多いかと思います。

 

私がチャレンジが怖くなかったのは、今いるところから出たかったからでもあります。

それこそ、本当は全てを捨てて、生まれ変わりたかったんですね。

 

親が理想とする「娘」の人生を送りたくなくて、その理想を受け入れたくなくて、何とか出たかったからこそ、チャレンジが好きだったのかもしれません。

いつも、親の目を気にして、自分の快適なコンフォートゾーンはありませんでした。

これをしたら何と言われるだろう、
またやめとけと言われるかな、
そんなことをしたら親が悲しむだけかな、

そんな親のものさしで常に生きていた私だったので、安心安全な自分に集中できるコンフォートゾーンは持っていませんでした。

 

だからこそ、常に変化を求めるチャレンジャーだったんです。

新しいところ、新しい出会いから、何か自分を見つけられるかと、常に外側に求めていたんですね。

 

それはそれで、周囲や環境、他人の影響で自分が作られていくと勘違いしていたのですから、
自分が見つかるはずがありません。

結局は、人のせいにして、社会のせいにして、不満や文句の多い生活を送っていました。

 

私がしようとしていた「チャレンジ」は、どちらかというと博打的なものでした。

それを楽しもうとしていたということは否定しません。

でも、博打は丁か半か、うまくいかない場合も多いんですね。

私は圧倒的にうまくいかないを引き寄せてしまっていました。

 

それでも、結果として、チャレンジ続けたことで、全く価値観の違う夫と知り合うことも出来ました。

夫は当時博打打ちでしたが、パソコンを使って統計を駆使した博打じゃない競馬をしていたので、負けることはなかったんですね。

でも、PCも一般的になって誰もがその統計や指数を使うようになって、勝てなくなってきたので辞めたのでした。

 

なので、夫は私よりずっと保守的です。
チャレンジはせずに、何事も積み上げていくことをします。

今までの自分に自信もあるので、それが出来るんだなぁと思います。

 

スポーツ選手の「チャレンジ」ってそういうことですよね。

日本一、世界一を目指す人も、コツコツと練習して、問題点をクリアして改善していって、
そうやって、何度もタイトルにチャレンジするんですものね。

スポーツなんて、素人がいきなりチャレンジして勝てる世界ではありません。

 

積み上げてきた今があるからこそ、できるチャレンジがある、

そういうことです(*^_^*)

 

博打でしか無いチャレンジを続けるのではなくて、
新しい自分にコツコツとチャレンジする、

あなたも、博打のようなチャレンジをするのではなくて、
コツコツと階段を作り上げていくような、確実なチャレンジをしていってくださいね。

 

最近は、私もそんなチャレンジをしています(*^_^*)

 

今日は理想の未来を掴むためのコツコツチャレンジにありがとう(*^_^*)

#今日のありがとう vol.581

この記事へのコメントを投稿します

PAGE TOP